安室からコナンへの主役の返上劇だ。劇場版『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』の感想。

安室からコナンへの主役の返上劇だ。劇場版『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』の感想。

※ネタバレはしていないつもりだが、感想と分析のため、ご注意ください。

今年のコナンは”当たり”だ。別にハズレの年があるわけではないが、大変楽しめる内容の映画だった。毎年、映画に合わせて漫画の新刊も発売される。2022年は101巻だ。紙も電子書籍も同時発売。青山剛昌は電子書籍への理解も深そうだ。

前作との比較

去年は赤井ファミリーが勢揃いする回だった。2020年に公開される予定がコロナで延期。コナン映画史上に残る出来事だった。その分、期待も大きくなる。その補正もあり、赤井ファミリー、五輪ネタと盛り沢山で少し消化不良だったような気もする。リニアモーターカーを最終舞台に選んだものの、電車や新幹線の上でのアクションは見慣れた光景で、少し新鮮味に欠けた。また赤井秀一も狙撃手としての活躍くらいしか描きどころがないのか、どこか既視感のある展開だった。

一方、今回の映画はまだまだ新参者の安室透とその過去を主軸に展開される。前作の赤井ファミリーの多用に対して、今回は警察学校の仲間をご活用。一見すると、初見殺しでキャラクターが多く出てきて、混乱を来しそうな内容ではあるが、回想シーンとアクション展開、犯人の動機等、説明要素をうまく散りばめ、見ている者を飽きさせない工夫が見られ、キャラの多さに辟易するということがなかった。キャラ重視の展開というよりも、ストーリーそのもので見させる、映画として良くできた展開だった。

歴代との比較

安室からコナンへの主役の奉還劇

安室がからむ映画は、今作で3作目の認識。最初は純黒の悪夢で、公安から盗まれた潜入捜査官のリストに関わる話だった。コナンに次ぐ準主役とかではなく、単純にストーリーの起点となる存在だった。続いて、ゼロの執行人では紛れもなく、コナンと同格の主人公。安室人気でコナンファンが映画に来る好循環を見事に活用した事例である。

今作も警察学校の同期をテーマに扱っているため、安室が準主役と言っても差し支えない。ただし、ゼロの執行人と異なり、劇中、縦横無尽に活躍することはない。なぜなら、物語の冒頭で”その動きを封じられる”演出が入り、その後は地下牢みたいなところで、コナンと遠隔の会話をするしかない状態に陥っているからだ。つまり、これはコナン映画として、本来の主人公の役割を安室からコナンに奉還する儀式となっている点において、過去作の安室ドラマとは一線を画す内容となっているのだ。

音楽とオープニングタイトル

楽しみなのが、お約束のオープニング。体が小さくなった背景や主要キャラ紹介と声優紹介等が行われる。近年はメタ的で、他キャラから進行を急かされる等のツッコミが入る。今作では少年探偵団からツッコミを受けていた。テーマ音楽もいつもより、アレンジが強かった印象。それだけ、「いつもとは違うんです」という制作側の意思が感じられた。一番印象的だったのは名探偵コナンの題字と副題の文字が、派手に登場するシーン。普通だと、イントロが流れた時点で、数秒後にはドーンという効果音とともにタイトルが画面に登場し、「俺は高校生探偵の工藤〜」みたいな流れなのだが、今回は違った。オープンニングの最後に、タイトルが出てきた。そして本編に戻っていく流れだったと記憶。この演出もまた、制作側の「いつものコナン映画とは一味違うんです」という決意表明に感じられた。

年々グラフィックが美麗になり、派手になり、映像演出が豪華絢爛になっているが、今回もその路線でポップな感じ、映画の舞台である渋谷の雰囲気を出すための演出だったのだろう。

毛利家

上にも書いたが、今回は「いつものコナン映画と違うんです」がよく出てくる。それがこの毛利家の二人にも言える。ヒロインなので、蘭ねえちゃんを遠ざけることには賛否両論だろうけども例年と異なる映画にするにはこういうお約束を削っていくしかない。そのための演出として、小五郎のおっちゃんを早期に負傷させ、入院退場。その看病も必要なため、蘭も退場。こうしてめでたく、毛利家ご退場の運びとなったのだ。もちろん完全退場ではなく、この入院も犯人との邂逅には欠かせなくなっており、そのギミックは毛利家の退場だけではなく、他のシーンへの導入や伏線になっており、お見事。

とにかく、特筆すべきなのは、小五郎がいないことで名推理を描く必要がなく、眠りの小五郎や捜査一課や関係者を囲んでの推理ショーを省けること。そして、蘭がいないおかげで、その級友である園子等の介入を防げるとともに、特技の空手アクションも封じれる、さらには後述する新一&蘭のラブロマンスもカットできるというわけだ。

これだけで、どれだけいつもの名探偵コナンから乖離できるかわかるだろう。序盤で毛利家ご退場を促した制作陣はかなりの賭けに出たわけだが、ちゃんと勝ったのだから素晴らしい。

博士のクイズ

まあこれはある。ただ、結構後の方だった気がする。そうなると、よくできたタイミングだなと今更ながら思う。意図的に後のシーンに回したのかと。序盤から中盤にかけて、手に汗握るシーンの連続で、緊張感が続く。その一服の清涼剤として、クライマックスに向けての一休みとして、クイズが果たす役割と功績は大きいのではないだろうか。人によっては邪魔と思うかもしれないが、コナン映画の愛好家からすれば、「お、やっと阿笠博士のクイズか!」と終盤に向けて、気合も入るのだ。

少年探偵団

今回は、安室とその警察学校の仲間、犯人及びそれを追う外国人団体を描く必要があり、余計な登場人物を入れることができない。そのため上述の通り、超主要メンバーである毛利家を蚊帳の外に置いたのだ。当然、キッドも平次も、赤井ファミリーもFBIも黒の組織も、誰も関わらない。最初から最後まで関わるとすれば、少年探偵団だ。最古参メンバーである。

あえて制作側は初期のオリジナルメンバーを活用することで、温故知新で、いつもと違うコナン映画を作ろうとしたのではないだろうか。

子供の活躍というのも、今回の映画ではテーマの一つだ。犯人を追う、外国勢力のリーダーは過去に自身の子供を失う経験をしており、事件の解決に向けてコナンと探偵団の果たした役割は大きいと言える。

いつもと違う本格サスペンスな映画だったが、やはり少年探偵団の活躍には嬉しいものがあるし、コナンがリーダーとしてもイケてることを再確認させてくれる。

新一と蘭のロマンス

なくてもいいのではと思うけど、それはコナン作品を否定してしまうことになるので、あえて言わない。今作でもちゃんと、ロマンスに変わる演出が入れられている。それもいつもと違う展開だろう。漫画本編では新一と蘭はそれなりに進展があり、うまくいっているのだから、今更愛を確かめあったり、二人が危険に晒され、それを救うベタな展開も、観客は飽きてしまう。だから、今回は警察学校仲間の過去との接点を通して、新一と蘭が幼馴染であることを再確認するという程度に収まっている。劇中、ほとんど最後にその話が出てくるし、コナンがその人物との出会いを思い出すという伏線の回収でもあるわけで、蘭とのロマンスに映画の装置としても機能しており、制作側の執念を感じた。

渋谷が舞台は必然か

コロナになってから、テーマや内容を決めたはずだ。だから、渋谷を舞台にするのも相応の理由があるに違いない。もちろん、その知名度や今までにない要素として渋谷にフォーカスを当てたというのは制作的にはあり得るだろう。しかし、コロナによって、人が集まるという行動や行為の価値が毀損されたように感じるのは私だけだろうか。本来、映画で描かれるような人いきれが、渋谷の醍醐味であるし、その真骨頂はハロウィン等のイベントに象徴されると言っても過言ではない。渋谷のハロウィンと言えば、負の側面もあり、そのマナーや治安の悪さは幾度となく、批判され私達の耳に入ってきた。だが、本質やその価値はそこにあるのではなく、大勢の人が集まったり、楽しんだり、できることに価値があるのであって、その風景を取り戻したいという、正にコロナで疲弊してしまった私達の生活へのアンチテーゼなのだなと感じた次第だ。だから渋谷で、ハロウィンを題材に持ってきたと。そして、その破壊を目論む悪党を成敗するのだ。みんなで力を合わせて。

ロシア人組織やロシア語

偶然なんだろうけど、実にタイムリー。細部まで作り込んだり、メッセージ性を追求する制作陣なので、呼び込んでしまったとしか思えない。まあ、ロシアやロシア語って、不気味さの演出には古今東西のミステリで使われるし、暗号とかキリル文字は持ってこいだから、偶然かなとは思う。

黒の組織

よくできた映画は、エンドロールのあとも楽しませてくれる。コナン映画としてはおなじみだが、翌年の映画公開決定の知らせと簡単なテーマが開示されるのだ。ここにジンの声が入ってくるのが、今年のコナン。映画本編には上述通り、黒の組織等の”一般キャラ”は一切出てこない。黒の組織のようなテロリストが出てくるので、出さない理由はもちろんあるのだが、こうして、最後の最後にジンの声が出て、黒の組織を匂わす演出は、流石である。今年の映画は例年とひと味もふた味も違って、最高だった。しかも、ただ黒の組織が関わる映画ではないようで、ジンが「シェリー」と言っているのだ。漫画やアニメ本編の最重要テーマなのだから、今回の映画を見終わる直前まで本当に興奮しっぱなしである。

もっかい、見に行こ。